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5月病に昨日までかかっていて、TOP絵の完成度がとてつもなく低いのだ。
言い訳ですごめんなさい。
そもそも5月病というのは4月に「いきいきするぞっ!」なんて意気込んだり、期待、やる気に満ちた、精神が活発な月の疲労のリバウンドからくる精神病らしい。
そもそも分公は4月にも関わらずやる気を出さなかったので5月病にもならない訳である。

そんな、(分公には関係なかったが)心と向き合う人が多いであろう5月に、ちょっと面白そうな事を見かけたのでそれについて調べてみた。



気になったというのは、二番煎じさまの掲示板に書かれていた一つの書き込みである(無断で記載して申し訳ないです。もしご都合が悪ければご連絡ください)

http://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=nivansenji&dd=04&re=583

内容は、
「進化する科学技術により人の物質的な距離は縮んでいるが、心の距離は一体どうなっているのか。また、物質的な距離と心の距離の関係は?」
という内容。
おらすっげぇ興味が沸いてきたゾ!

さて、今回調べたのが、
「今でこそ物質的距離が~~というが、昔の人は心の距離をどう考えていたのか」
ということ。
心の距離が縮まったとか、結局昔の人がどう思っていたか考えてみないと分からないですよね~ということである。






小学校、幼稚園のときから「道徳」だとか「人権」だとか、「人を大切に」と教えられてこなかっただろうか。
分公は高校生となった今でも、時々学校で「人権月間だ~!」と言われながら人権の勉強をしたり、他者理解について考えているのだが、そのなかでよく見聞きする単語が思いやりである。

思いやり。 今では相手のことを思う、という意味で使われているのだが、これは昔から使われてきた言葉で、
「思ひ」を「遣(や)る」 と使われてきたようだ。
ただ、現代語訳をすると
「思ひ=悩み」「遣る=遠くへとやってしまう」という訳になって「悩みごとを晴らす」という意味になるそうだ。
奈良時代には「いや~な気持ちを無くす」という意味が主流で使われたいたのだ。
どことなく今の思いやりと意味は似ているような。しかし面白いのは奈良時代が終わってしばらくしてから。

平安時代になると「やる」が補助動詞としての働きをして使われることが多くなってくる。

補助動詞「やる」

(上に接続する動詞の連用形に付いて)
①(多く打消しの語を伴って用いる)動作が完了する意を表す。十分、または最後まで…する。
(①・・・興奮がさめやらぬ。の「やる」という感じで使うが今回は関係なし)
②動作が広く、また遠くまで及ぶ意を表す。ずっと…する。

②の「やる」は「見やる=遠くを見る」といったように「遠くへ~~する」という意味を表していて、
今回の「思ひやる」の「やる」に使われている。
なので平安時代の「思ひ遣る」は「遠くの人(特に多いのが恋人)のことを思う」という意味になる。
さらに現代と同じ様な意味でも使われていることが源氏物語を読んでも分かるらしい。

平安時代の人は、「遠くへ自分の気持ちをやってしまう」という意味の言葉に「相手の気持ちを思う」という意味を付け加えたというのだ。

そんな話を聞くと、昔の日本人も
「他人との心の距離は遠いものよのぉ。ほほほ」
なんて思っていたのではないだろうかと思えてくるのだ。


さらに日本だけではない。


considerは「よく考える」という英単語だが、1単語で「思いやる」の訳をするときに多く使われている。
このconsider、丁度二つの部分に分けることができるらしく、
「con」「sider」の二つになる。
「con」は「全く、完全に」という意味の接頭語で(コンプリートなんて使い方がそれである)、
「sider」はラテン語で「星を観察する」という意味で、その二つを合わせて「星をよく観察する」。
古代の人々は星を観察しながら色々なことやものに思いを馳せていたのが頭に思い浮かぶ。
星の観察によって文明を発展させたなんて歴史も、どことなくconsiderと重なるわけである。

そして、「con」には「一緒に」なんていう意味もある。
無理矢理だが、「一緒に星を眺めて思いを馳せる」という情景が、considerという言葉を作ったのかもしれない。

星のように遠いものを見ながら隣にいるキミを思う。

ちょっとロマンティックではないだろうか。

かなり無茶な解釈だが、どこの国の昔の人も
「人の心とは遠く離れたものだ」
と考えていたのではないかと推測する。

よって分公は、
科学技術が発達していないころは、心と心の距離は長かった
という結論に至った。


確かな答えは出なかったが、この問題を考える上で少しでも参考になるようだったら嬉しい限りである。

<続くのだが、問題とはちょっとズレた結論をだしているので、よければどうぞ>
 

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余談


そして、ちょっと本題に戻るが
「人間の、物質的な距離と心と心の距離の関係」について考えてみよう。

分公は、最近の科学技術やネットの発達によって、世界中だれとでも「簡単にコミュニケーションがとれるようになった」という点で、物質的な距離ではないが、「心の距離を縮める」機会や手段は確実に増え、進歩したと思っている。
直接いいにくい事もメールでは言いやすいし、顔を合わせたければテレビ電話なんてものまである時代だからだ。

なので、進歩とともに「心と心の距離」は縮まっている!と初めは考えた。
し かし、増え続けるネットいじめや、韓国のネットが影響しての自殺問題など、今の人々が使いこなしきれていないと思える事件や出来事も多く、
都会暮らしは寂しい、
都会の人は 冷たい、
東京は砂漠、
なんていう言葉もあることから、現代社会の発達の仕方は心と心の距離を本当に縮めているのだろうかと疑問に思うところもある。

「簡単に思いを伝えられる」という技術は「簡単な思いを伝える」技術になってはいないだろうか。

それに対して昔のコミュニケーションはどうだろう。
今のようにメールや電話もない時代である。
顔を付き合わせたお付き合いや心のこもった手紙に歌を載せてやり取りをしてきたのだ。
昔の人は、現代人より、心と心の距離を縮める努力をしている。
そう思ったのだ。
だから、今回調べた「思いやり」という言葉の歴史も考えると、

昔の人が努力しても心と心の距離を縮めるのは難しかった
のだから
現代人はもっともっと心と心の距離を縮めるように頑張らないといけない
のではないか。
便利な物を持ってるのだ。
分公ももっと頑張れるのではないか、もっとAかBを通じて心と心の距離を縮めることができるのではないか、
そう思ったのだった。
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無題
considerの単語の解釈を見ている時ちょっと涙出そうになりました。これはすごいです。

人間、科学の進歩はしても心の進歩は追い付いていないようですね...そうです、便利なものがあるんだから使い方を誤りさえしなければ人間はもっとつながれると思いました。

和哉ユウ URL 2009/06/01(Mon)21:12:33 編集
Re:無題
涙ながしてくれるなんてww
クサイ事も書いてみるもんです!
ありがとうございました!お涙いただきましたー!

分公も、もしかしたら使い方を間違ってるかも知れませんね。
現代人は物が多すぎてよく考えなきゃならない事ばっかりで疲れます^^;
【2009/06/01 21:55】
無題
素晴らしいほどの考察っぷり
いやはや、恐れ入りました><

ちょっと気になったのですが、「心の距離を縮めるように頑張らないといけない」っていうのはなんか違和感感じました
せっかく身近に連絡とる手段あるんだからもっと連絡とればいいと思うよ!っていうのなら個人的にも納得いくのですが、心の距離っていうのは頑張って縮めるものというより気がついたら近くなってるってことのほうが多いと思うんです
こいつと友達になれるよう頑張らなくちゃいけない!って思うことってのはあまりないと思うんですよ
でもなんかこんなこと書いてるうちに分公さんの言いたいことも分かってきたような感じがしてなんかもやもやしてきましたww
変な葛藤がww

無駄に長文スマソ(´・ω・`)
ぐりおに URL 2009/06/01(Mon)23:24:14 編集
Re:無題
お褒めの言葉はありがたいのですが、結構元ネタがあるんですよねw
うまいタイミングでこういった記事にまとめて自分の意見も書けたので、よかったかなと。

分公もそう言われてみればおかしいような、でも書いているときは「こうなんだ!」っていう信念もあって、だからそれも言たいんだけど、やっぱり難しくて、
やきもきするんですw

でもそれが「縮めようとする努力」なんだと思いますよ!
ここで一回頭を抱えて悩まずに「~に決まってんだろ」とか「すいませんズレちゃってますね!直します!」
なんて逃げてしまうと、本当の気持ちを伝えられずに終わっちゃうんでしょうね~ムズカしい><

長文コチラも失礼しました!でもこれ、縮める努力ですから仕方ないね!
【2009/06/02 00:07】
無題
TOP絵の白くなっている青年はもしや分公?
竜也 2009/06/02(Tue)16:31:47 編集
Re:無題
この男、名は満潮(みちしお)永澄(ながすみ)。
中坊。
瀬戸内海で溺れ死にそうになった時、人魚である瀬戸(せと)燦(さん)に助けられ、人魚の掟に巻き込まれ燦の夫婦になることに。
しかし燦は水産界では有名な瀬戸内組の娘だった。
愛娘家である燦の父、瀬戸内組組長瀬戸内豪三郎などに敵視されている、

かわいそうだけどとっても強い、you は shork! な男の子なのだ。
【2009/06/02 17:08】
無題
人間というのは口頭だけならなんとでも言える不思議な生き物ですよねー。
「努力しなよ」とか「努力します」とか、簡単に「努力」と口走りますが、実際「努力」とはきわめて難しく、重い言葉だとおれっちは考えます。
「努力」するとは誓いを立てて絶対にやり遂げるぞ!という意志の上に築くものだと思うっす。
「努力」して目標に着くには多大な犠牲があると・・・。
でも、だから達成した刻の喜びがあるんですね。

長文すいません><
別に哲学ぶるつもりもないし、知ったかのつもりもないんですがこういうことを考えると、つぃ・・・。すいません。
いやはや、世の中難しい!
@KOUHEI@ 2009/06/02(Tue)18:46:24 編集
Re:無題
努力って何も大きな目標、たとえば野球選手になるとかそんな大きい努力じゃなくても、テストでいい点取るためにいつもより30分多く勉強するってだけでも努力って言えると思うんですよ。
だから分公「このコメント返信をもっと真剣に考える」という自分にできる努力からやっていこうと思ったのですが、返事を書くのに40分もかかっていう現在orz
やっぱり努力は難しいです><

知ったかだなんて!
別に定義も無ければ正解もないんですからw
ちゃんと考えた結果ならその人にとっては正解。ってのもありですよきっと!
【2009/06/02 20:44】
無題
診断の結果、
あなたは「ヤルキオ菌」によるやる気停滞現象が起きているようです
常に松岡○造のような人には影響はないのですが
一般の方ですと、「ザオラルが一向に成功しないとき」と同じくらいのやる気の低下が見られます

処方箋は「松岡○造」となっております
副作用として、「やれと言われたら、やりたくなくなる」症状が出る場合が多々あります
ご注意下さい
めもてふ 2009/06/02(Tue)21:55:48 編集
Re:無題
この記事を書くときはやる気MAXだし、ps2の電源もやるき満々で押します。

勉強ヤルキオ菌だけに効く学修造薬を処方してもらいたいですねorz
【2009/06/03 10:38】
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