お引越し予定。
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心と心の距離について考える
というテーマで前回は少し頑張って考察したけれども、あまり成果というか結果というか。
釈然としないモシャモシャした気持ちが残ったので、
今回のも心と心の距離に似たようなテーマで、何個かの視点から考察していきたい。
1. 心の距離を取る
この記事で書いたように、人間という生き物は大きくなる(心の発達)に連れて相手と自分を区別していくらしい。
初めは相手の精神と自分の精神の違いが分からず、相手の行動や表情が自分の体に伝わったり、心理や個性に影響を与えたりするのではないかという話だった。
そこで分公は、「相手と自分の差が分からない、ある意味でのシンクロ状態が続く」という状態を、心と心の距離が意味はちょっと違うが0に近い状態だと考えた。
まぁそれは赤ん坊から見ての話で、大人から見れば「この子は私の子」という認識しかないかもしれないが。
そして、成長するごとに、教育されていく過程で心の距離の取り方というものを学んでいるのではないかと考えたのだ。
言い換えると、心と心の距離を離すように分公達は教育されてきたのではないか。
挨拶。
挨拶こそが分公たちの心と心の距離を取っているのではないか。
なんでそうなるわけ?挨拶っていいことでしょ?
そう思う皆さん、
だ か ら こ そ 心と心の距離を取るのである。
ではなぜ挨拶をするように挨拶をするように教育されてきたのだろうか。
それは大きく言うと
「いい人付き合いをするため」
朝に会うとおはようございます。
昼に会うとこんにちわ。
夜に会うとこんばんわ。
日本人は律儀にもきちっと使い分けて挨拶をする。
いいお付き合いとは、適度に心と心の距離を保った関係ではないだろうか。
ちょっとでどこは忘れたが、
「挨拶をすることは相手という人物を互いに確認するためにある」
と書かれた評論文があった。
人に挨拶をするということは、相手という人物を認識したという動作であり、
それに存在を確認するためのものである。
といった感じの展開だった気がする。模試の問題で見たんだ・・・
確かに、登校したときに目が合っても「・・・」と挨拶しないということは、相手をおろそかにしているように感じるし、自分が無視された、と思っても仕方ないね。
「おはよう」とさわやかに挨拶を交わすのが正しい人付き合いに思える。
それが 他人と自分は別のもの ということを確認する動作といわれてもうまく納得できない。
しかし挨拶を、「一日の始まりなどで相手と「声」というものでコンタクトを取りあう」という動作だと考えると、すこし納得はできないだろうか。
「おはよう」
「お!おはよう」
その一言二言できっぱりと相手と言存在と自分という存在は区別されて、距離を確認する。
赤ん坊のシンクロ状態が、心と心の距離が0の状態だとすると、
自ら声を出して相手という存在を認識しあう「挨拶」をすることによって、確実に心と心の距離は開いていくのではないか。
挨拶は人間関係を気づくための第一歩、しかしそれは同時に
相手との適度な心と心の距離を置くための一歩
とも言えるのではないだろうか。
好きな女の子がいて、特に挨拶もしていないのに朝たまたま視線が合って「ニコッ」とされたらどうだろう。
キュン!
と来ないだろうか。
声にだす、という一つのフィルターを使わないで相手とコンタクトがとれる。
つまりその時、心と心の距離というのは言葉を交わす「挨拶」をするときより狭くなっているのではないだろうか。
ちょっと自分で書いて訳が分からなくなったが、
まとめ
挨拶は相手と自分を区別化するための動作であり、心と心の距離を一定に保つ役割をしているのではないか。
その挨拶の区別の厳格さ(外国に比べると)や、挨拶は大事!という日本の教育方針こそが、現代の心と心の距離を開かせているのではないか。
でもやっぱり挨拶しないといけないよね☆
2.空気を読む
分公はよく「お前空気よめてへんよな~」「まじKYやわ」なんていわれることが多いうのだが、そこでいう「空気」とは何だろう。
空気を読むとはつまり、会話がなされている場、もしくはコミュニケーションをとっている場の人間全員が持っている共通意識のことだと思う。
誰もが「AくんとB夫は仲が悪いからな~あんまり一緒にさせたくないよな・・・」という共通意識を持っているなかで、
「カラオケ行こうぜ!Aも来いよ!B夫も来るよな!?」
という共通意識に反する発言や態度を取ると「空気」が読めていないといわれているのである。
まとめ
ということはここで発生する心と心の距離は、言われなければその場の共通意識である「空気」が理解できない分公のような人物だけ開いているのだろう。
あぁ・・・空気とは読むというのは非常に難しいものである。
識字率99.8%という日本に生まれておきながら・・・って話が別かorz
今回のまとめ
どうやら、心で思ったこと、感じたことを相手に伝える手段が少なければ少ないほど心と心の距離は狭まる、のではないだろうかというのが結論である。
分公も、頭ではいっぱい考えが浮かんでいるのにいざ書こう!となると中々表現に困ってしまうし、結局皆さんにも上手く伝わったのかあやしいのだ。
そう思えば「あうんの呼吸」という言葉は今回の結果を語る上で重要かも知れない。
できるだけ少ない手段で相手の考えることが読み取れる、ということはつまり心と心の距離が狭いのだ。
現代の科学技術によって人はより社交的になり、より多くの関係を持つようになった。
また、誰とも一定の心と心の距離を取らなければならなくなったのかもしれない。
ATフィールドの話題も出てきそうだが、書くのはやめておくことにする
というテーマで前回は少し頑張って考察したけれども、あまり成果というか結果というか。
釈然としないモシャモシャした気持ちが残ったので、
今回のも心と心の距離に似たようなテーマで、何個かの視点から考察していきたい。
1. 心の距離を取る
この記事で書いたように、人間という生き物は大きくなる(心の発達)に連れて相手と自分を区別していくらしい。
初めは相手の精神と自分の精神の違いが分からず、相手の行動や表情が自分の体に伝わったり、心理や個性に影響を与えたりするのではないかという話だった。
そこで分公は、「相手と自分の差が分からない、ある意味でのシンクロ状態が続く」という状態を、心と心の距離が意味はちょっと違うが0に近い状態だと考えた。
まぁそれは赤ん坊から見ての話で、大人から見れば「この子は私の子」という認識しかないかもしれないが。
そして、成長するごとに、教育されていく過程で心の距離の取り方というものを学んでいるのではないかと考えたのだ。
言い換えると、心と心の距離を離すように分公達は教育されてきたのではないか。
挨拶。
挨拶こそが分公たちの心と心の距離を取っているのではないか。
なんでそうなるわけ?挨拶っていいことでしょ?
そう思う皆さん、
だ か ら こ そ 心と心の距離を取るのである。
ではなぜ挨拶をするように挨拶をするように教育されてきたのだろうか。
それは大きく言うと
「いい人付き合いをするため」
朝に会うとおはようございます。
昼に会うとこんにちわ。
夜に会うとこんばんわ。
日本人は律儀にもきちっと使い分けて挨拶をする。
いいお付き合いとは、適度に心と心の距離を保った関係ではないだろうか。
ちょっとでどこは忘れたが、
「挨拶をすることは相手という人物を互いに確認するためにある」
と書かれた評論文があった。
人に挨拶をするということは、相手という人物を認識したという動作であり、
それに存在を確認するためのものである。
といった感じの展開だった気がする。模試の問題で見たんだ・・・
確かに、登校したときに目が合っても「・・・」と挨拶しないということは、相手をおろそかにしているように感じるし、自分が無視された、と思っても仕方ないね。
「おはよう」とさわやかに挨拶を交わすのが正しい人付き合いに思える。
それが 他人と自分は別のもの ということを確認する動作といわれてもうまく納得できない。
しかし挨拶を、「一日の始まりなどで相手と「声」というものでコンタクトを取りあう」という動作だと考えると、すこし納得はできないだろうか。
「おはよう」
「お!おはよう」
その一言二言できっぱりと相手と言存在と自分という存在は区別されて、距離を確認する。
赤ん坊のシンクロ状態が、心と心の距離が0の状態だとすると、
自ら声を出して相手という存在を認識しあう「挨拶」をすることによって、確実に心と心の距離は開いていくのではないか。
挨拶は人間関係を気づくための第一歩、しかしそれは同時に
相手との適度な心と心の距離を置くための一歩
とも言えるのではないだろうか。
好きな女の子がいて、特に挨拶もしていないのに朝たまたま視線が合って「ニコッ」とされたらどうだろう。
キュン!
と来ないだろうか。
声にだす、という一つのフィルターを使わないで相手とコンタクトがとれる。
つまりその時、心と心の距離というのは言葉を交わす「挨拶」をするときより狭くなっているのではないだろうか。
ちょっと自分で書いて訳が分からなくなったが、
まとめ
挨拶は相手と自分を区別化するための動作であり、心と心の距離を一定に保つ役割をしているのではないか。
その挨拶の区別の厳格さ(外国に比べると)や、挨拶は大事!という日本の教育方針こそが、現代の心と心の距離を開かせているのではないか。
でもやっぱり挨拶しないといけないよね☆
2.空気を読む
分公はよく「お前空気よめてへんよな~」「まじKYやわ」なんていわれることが多いうのだが、そこでいう「空気」とは何だろう。
空気を読むとはつまり、会話がなされている場、もしくはコミュニケーションをとっている場の人間全員が持っている共通意識のことだと思う。
誰もが「AくんとB夫は仲が悪いからな~あんまり一緒にさせたくないよな・・・」という共通意識を持っているなかで、
「カラオケ行こうぜ!Aも来いよ!B夫も来るよな!?」
という共通意識に反する発言や態度を取ると「空気」が読めていないといわれているのである。
まとめ
ということはここで発生する心と心の距離は、言われなければその場の共通意識である「空気」が理解できない分公のような人物だけ開いているのだろう。
あぁ・・・空気とは読むというのは非常に難しいものである。
識字率99.8%という日本に生まれておきながら・・・って話が別かorz
今回のまとめ
どうやら、心で思ったこと、感じたことを相手に伝える手段が少なければ少ないほど心と心の距離は狭まる、のではないだろうかというのが結論である。
分公も、頭ではいっぱい考えが浮かんでいるのにいざ書こう!となると中々表現に困ってしまうし、結局皆さんにも上手く伝わったのかあやしいのだ。
そう思えば「あうんの呼吸」という言葉は今回の結果を語る上で重要かも知れない。
できるだけ少ない手段で相手の考えることが読み取れる、ということはつまり心と心の距離が狭いのだ。
現代の科学技術によって人はより社交的になり、より多くの関係を持つようになった。
また、誰とも一定の心と心の距離を取らなければならなくなったのかもしれない。
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Re:無題
全然読んでねぇww
まぁそれほど分公の文章が退屈だったってことですかねorz
精進します
まぁそれほど分公の文章が退屈だったってことですかねorz
精進します
無題
読んでて頭がフィーバーしました
これだけの情報量が一気に頭に入ってくるとショート寸前ですw
ただ、最後のあうんの呼吸でかなり納得がいきました
素晴らしい例えだと思います
これをネタに俺もブログに書いてみるかな・・・
これだけの情報量が一気に頭に入ってくるとショート寸前ですw
ただ、最後のあうんの呼吸でかなり納得がいきました
素晴らしい例えだと思います
これをネタに俺もブログに書いてみるかな・・・
Re:無題
分公も迫りくるタイムリミットへの焦燥と、頭の中で暴れる情報を整理するので、頭がショート し ま し た
最後のあうんのことについては「どうにかして具体例を出さないと」という一心でひねり出しましたね・・・出てきてよかったw
色々菜人の視点からの考察が見れるっていうのは面白いことですので、ぜひ書いてみてください!
最後のあうんのことについては「どうにかして具体例を出さないと」という一心でひねり出しましたね・・・出てきてよかったw
色々菜人の視点からの考察が見れるっていうのは面白いことですので、ぜひ書いてみてください!
Re:無題
日記読ませていただきました。
もう分公が考え付かないような視点からの考察で、
「さすがTHE DATTOさん!うおぉぉぉぉぉ」
とひっくり返りました。
AかBや分公のことにも紹介していただいていて本当にありがとうございました。
なんだか夢が一つかなったような気がしました・・・
もっとちゃんとお礼がしたいですorz
またこんな考察会をやりたいですね!
もう分公が考え付かないような視点からの考察で、
「さすがTHE DATTOさん!うおぉぉぉぉぉ」
とひっくり返りました。
AかBや分公のことにも紹介していただいていて本当にありがとうございました。
なんだか夢が一つかなったような気がしました・・・
もっとちゃんとお礼がしたいですorz
またこんな考察会をやりたいですね!
Re:無題
急にシーンってなっちゃうと急に発汗、心理状態の悪化、ただし以上協判断力の低下
なんかでよけいに場の空気を損ねる発言が連鎖的に出ちゃって・・・
ああああ考えただけでも恐ろしいですw
なんかでよけいに場の空気を損ねる発言が連鎖的に出ちゃって・・・
ああああ考えただけでも恐ろしいですw
無題
例え方がいつもながら素晴らしいですね
特にまとめがわかりやすかったです
「できるだけ少ない情報で相手を理解できる」ということはそれだけ相手との心の距離が狭いってことなんですね!なるほど納得です。
KY...俺のことですorz
特にまとめがわかりやすかったです
「できるだけ少ない情報で相手を理解できる」ということはそれだけ相手との心の距離が狭いってことなんですね!なるほど納得です。
KY...俺のことですorz
Re:無題
本当はまとめなんていう項目は作りたくないんですけど、つくらないと考えがまとまらないっていうねw
しっかり紙に書いたり、自分で整理してから次は挑みたいと思いましたね~
会話など~なしに
内側に潜って
考えが読み取れる
不思議な夜~♪
という歌もありますし、テラパシーっていうのは人間の夢なのかもしれませんね!
キラッ☆
・・・すいませんKYでしたorz
しっかり紙に書いたり、自分で整理してから次は挑みたいと思いましたね~
会話など~なしに
内側に潜って
考えが読み取れる
不思議な夜~♪
という歌もありますし、テラパシーっていうのは人間の夢なのかもしれませんね!
キラッ☆
・・・すいませんKYでしたorz
Re:無題
くうき・エアー・エメロル。
分公もそれぐらいですかね^^;
分公もそれぐらいですかね^^;
近況報告
楽しい。 at 御在所岳
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プロフィール
HN:
分公
性別:
男性
職業:
大学生
趣味:
最近はもっぱら野宿
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