お引越し予定。
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分公の親父が
「中国に行ってくる」
といって家を出たのに帰ってきたら
「モンゴル行ってた」
とかぬかすので話をいろいろ聞いていたのだが、すさまじき所だったようなので分公も焦りを感じずにはいられなくなったので、少しお伝えできればなと思う次第である。
いつかの記事に書いていたオルドスという所に行ったらしいのだが、少し説明すると、あまりテレビでも新聞でも見かけないモンゴルの地区で、内モンゴルと呼ばれる部分にある都市。
石油を始めレアメタルなどの資源にあふれていて、近年急速に発展してきたらしい。
まぁ前回はそれぐらいしか書いてなかったのだが、それもそのはず、調べようにもネットにも掲載されていないのだ。
どれだけ辺境の地かと思われるかも知れないが、こんなところ
これですごい都市なのだ。
ホテルとかの関係上、そんなに中心部ではないらしいが、ここ、
砂漠の真ん中、モンゴルだから!
この時期気温は-20度ぐらいがデフォルトらしくて、父が滞在していたときは晴れ続きで非常に過ごしやすかったそうだ。
お昼-17度だけどね
でも日本で-20度になるのとモンゴルで-20度になるのとでは大きく違うモノがあって、それが湿度だ。
京都は特に湿度が高く、ちょっと冷えるとすぐに足下からガンガン冷えてしまうのだが、モンゴルは大平原の中にあるのだ。湿気なんてほぼ無い。
だからいくら寒くても肌は冷たくならないらしい。
でも-20度は-20度かだから、腕時計(金属)やピアスなどが焼けるように痛くなるらしいのだ。
鉄のパンツなんてはいていこうモノなら一生使い物にならなくなるかも知れない。おお怖い。
ピアスマニアのかたは決してつけていかないように!
それと、湿気がないというけれど、逆に超乾燥してしまうので、ホテルでつい日本のように風呂なんて入ると前進乾燥肌で死にそうになるらしい。
向こうでは風呂にはいらないで寝るのがいいらしい。
多汗症(手のひらだけ)に悩む分公には超☆快適そうである。
さて、そんなこの都市は、タクシーで100円も払わなくても1周できてしまうような町で、小さい方なのだが、オルドス自体は日本の3倍ほどの面積があるので油断はできない。
父は小さい方と言うが中国に何度も行ったことがあるので感覚は相当麻痺しているに違いない。
そんな父だが、どうしてもチンギスハンの墓が見たかったらしいので、滞在期間中に行ってきたそうだ。
タクシーで約3時間という気が遠くなるような時間草原を走り続けるそうだ。
何故そんなにかかるかというと、車が時速60km異常出せないからだ。
高速道路を走るのだが、あまりスピードを出しすぎるとあまりの寒さにフロントガラスが凍るらしいからだ。
意味不明である。時速60kmで走る車の窓から手の平を出して空をつかむとおっぱいの感触だとかよく言うけど、もんごるでゃ一瞬にして手がもげてしまいそうになるってことである。
地面はビッシリ凍っている
そして3時間後、そこには
なーんにもない
だだっ広い広場、謎の像。
人っ子一人いやしない。
・・・そして墓らしきものもない。
実はチンギスハンの墓はみんな知らなくて、ある一族が代々本当の墓の場所を伝えているのだそうだ。
その墓の場所を伝えられたヤツの顔が見たくて父は3時間も来たらしのだが、
諦めたそうだ。
そりゃ健全な17歳分公だって-20度のなかこんな距離歩かないだろう。
ましてや50になろうかという父がいけるわけ無い。多分道中で死んでる。
そしてまた3時間かけて帰ってきたそうだ。
一応仕事で中国に来ているのであとは色々仕事をして帰ってきたのだろうが、このちょっと垣間見たオルドスやモンゴルを、ただ見るだけではいけない。
まず、モンゴルでよく見かける像。
例えばこんなの。
誰だって?知りません。
多分チンギスハンがらみの像らしいのだが、今でもずっとこうして国民の人気者なのだ。
日本で有名な歴史上の人物と言えば、やれ織田信長だのやれ坂本龍馬だの、といった感じだがどれも最近の人物である。
モンゴルの英雄チンギスハン
すごいんだよ。
上を読めばだいたい分かるかも知れないが、一応説明すると、征服した範囲がものすごい。
アジアの中央の大半をモンゴル帝国にしたのだ。
それも一代にしてである。その後は神になったとか言われている。
日本が天下統一するのにあれだけ年月がかかったというのに、その数百倍を統一するのだから英雄にもなっちゃうよねって話。
そもそもモンゴル民族っていうのはかなり熱い民族で、-20度のなかを馬でガンガン走ってバシバシ戦いまくる民族なのだ。みんな朝青龍みたいな顔に違いない。
モンゴル人って、普通にアジア人を想像するかも知れないが、身長は低くてすごく足が長い。そして顔はアジアというよりはロシア人によっているらしい。
もう想像しただけで戦闘民族、K-1で活躍してそうな感じである。
元寇をしてきたり、ものすごい強さと勢力だったから、秦の始皇帝は万里の長城なんて壮大な防衛壁を作ったのもうなずける。
元寇があったときには火炎放射器や戦闘戦術は圧倒的に負けていたし、今は中国になっているから一緒にするが、日本が土器を作っているときはもうすでに漢字があったのだ。
大陸はすごいのである。
にしてもこんな大きな像をガンガン造っているモンゴル人の気持ちと一緒になれそうにもない。
にしても、こんななーんにもない平原に、何故石油があるなんて分かったのだろう・・・
そんなことも含めてpart2へ続く・・・
「中国に行ってくる」
といって家を出たのに帰ってきたら
「モンゴル行ってた」
とかぬかすので話をいろいろ聞いていたのだが、すさまじき所だったようなので分公も焦りを感じずにはいられなくなったので、少しお伝えできればなと思う次第である。
いつかの記事に書いていたオルドスという所に行ったらしいのだが、少し説明すると、あまりテレビでも新聞でも見かけないモンゴルの地区で、内モンゴルと呼ばれる部分にある都市。
石油を始めレアメタルなどの資源にあふれていて、近年急速に発展してきたらしい。
まぁ前回はそれぐらいしか書いてなかったのだが、それもそのはず、調べようにもネットにも掲載されていないのだ。
どれだけ辺境の地かと思われるかも知れないが、こんなところ
これですごい都市なのだ。
ホテルとかの関係上、そんなに中心部ではないらしいが、ここ、
砂漠の真ん中、モンゴルだから!
この時期気温は-20度ぐらいがデフォルトらしくて、父が滞在していたときは晴れ続きで非常に過ごしやすかったそうだ。
お昼-17度だけどね
でも日本で-20度になるのとモンゴルで-20度になるのとでは大きく違うモノがあって、それが湿度だ。
京都は特に湿度が高く、ちょっと冷えるとすぐに足下からガンガン冷えてしまうのだが、モンゴルは大平原の中にあるのだ。湿気なんてほぼ無い。
だからいくら寒くても肌は冷たくならないらしい。
でも-20度は-20度かだから、腕時計(金属)やピアスなどが焼けるように痛くなるらしいのだ。
鉄のパンツなんてはいていこうモノなら一生使い物にならなくなるかも知れない。おお怖い。
ピアスマニアのかたは決してつけていかないように!
それと、湿気がないというけれど、逆に超乾燥してしまうので、ホテルでつい日本のように風呂なんて入ると前進乾燥肌で死にそうになるらしい。
向こうでは風呂にはいらないで寝るのがいいらしい。
多汗症(手のひらだけ)に悩む分公には超☆快適そうである。
さて、そんなこの都市は、タクシーで100円も払わなくても1周できてしまうような町で、小さい方なのだが、オルドス自体は日本の3倍ほどの面積があるので油断はできない。
父は小さい方と言うが中国に何度も行ったことがあるので感覚は相当麻痺しているに違いない。
そんな父だが、どうしてもチンギスハンの墓が見たかったらしいので、滞在期間中に行ってきたそうだ。
タクシーで約3時間という気が遠くなるような時間草原を走り続けるそうだ。
何故そんなにかかるかというと、車が時速60km異常出せないからだ。
高速道路を走るのだが、あまりスピードを出しすぎるとあまりの寒さにフロントガラスが凍るらしいからだ。
意味不明である。時速60kmで走る車の窓から手の平を出して空をつかむとおっぱいの感触だとかよく言うけど、もんごるでゃ一瞬にして手がもげてしまいそうになるってことである。
地面はビッシリ凍っている
そして3時間後、そこには
なーんにもない
だだっ広い広場、謎の像。
人っ子一人いやしない。
・・・そして墓らしきものもない。
実はチンギスハンの墓はみんな知らなくて、ある一族が代々本当の墓の場所を伝えているのだそうだ。
その墓の場所を伝えられたヤツの顔が見たくて父は3時間も来たらしのだが、
諦めたそうだ。
そりゃ健全な17歳分公だって-20度のなかこんな距離歩かないだろう。
ましてや50になろうかという父がいけるわけ無い。多分道中で死んでる。
そしてまた3時間かけて帰ってきたそうだ。
一応仕事で中国に来ているのであとは色々仕事をして帰ってきたのだろうが、このちょっと垣間見たオルドスやモンゴルを、ただ見るだけではいけない。
まず、モンゴルでよく見かける像。
例えばこんなの。
誰だって?知りません。
多分チンギスハンがらみの像らしいのだが、今でもずっとこうして国民の人気者なのだ。
日本で有名な歴史上の人物と言えば、やれ織田信長だのやれ坂本龍馬だの、といった感じだがどれも最近の人物である。
モンゴルの英雄チンギスハン
すごいんだよ。
上を読めばだいたい分かるかも知れないが、一応説明すると、征服した範囲がものすごい。
アジアの中央の大半をモンゴル帝国にしたのだ。
それも一代にしてである。その後は神になったとか言われている。
日本が天下統一するのにあれだけ年月がかかったというのに、その数百倍を統一するのだから英雄にもなっちゃうよねって話。
そもそもモンゴル民族っていうのはかなり熱い民族で、-20度のなかを馬でガンガン走ってバシバシ戦いまくる民族なのだ。みんな朝青龍みたいな顔に違いない。
モンゴル人って、普通にアジア人を想像するかも知れないが、身長は低くてすごく足が長い。そして顔はアジアというよりはロシア人によっているらしい。
もう想像しただけで戦闘民族、K-1で活躍してそうな感じである。
元寇をしてきたり、ものすごい強さと勢力だったから、秦の始皇帝は万里の長城なんて壮大な防衛壁を作ったのもうなずける。
元寇があったときには火炎放射器や戦闘戦術は圧倒的に負けていたし、今は中国になっているから一緒にするが、日本が土器を作っているときはもうすでに漢字があったのだ。
大陸はすごいのである。
にしてもこんな大きな像をガンガン造っているモンゴル人の気持ちと一緒になれそうにもない。
にしても、こんななーんにもない平原に、何故石油があるなんて分かったのだろう・・・
そんなことも含めてpart2へ続く・・・
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