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だってさぁ。
2月って言ったら節分でしょ・・・
で、今日何日?って言われたら4日である。

今書きかけてるTOP絵が節分なわけで、


終わってるっていうでっていう


まぁまた2月中に書くので勘弁してもらいたい。
とにかく意地でも今日中に書き上げてしまおうっと。

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なんだか懐かしい響きで今日も日記を書き始めるのだが、分公の置かれている状況は決して穏やかなんかじゃない。

明日はなんと

国語3時間 数学3時間 英語2時間 という地獄の時間割が組まれてしまった呪われた日なのだ。
さらに、英語は期末テスト前夜祭みたいなのりの「中期末」なるもの。
範囲はざっと教科書40ページぐらい。
死ねる。
で、分公がめくったページは4ページほど。

ついでに活動限界時間まで残り2時間。オワタ\(^0^)/である。

それに、あ~だこ~だ言っているうちに2月である。
TOP絵も書かなくてはならないし、実況だって上げなきゃならん。
AかBが停滞気味なのも週末には模試があったり部活の試合があったりと色々ハードすぎてメンタル面が追いつかないからだと言い訳しておく。

だが、本当に忙しくて精神面で結構やられているところはある。
分公といえば何時間パソコンしてても目は疲れないし頭もシャキットしているような健康児を売りにしていた(?)のだが、
最近は何故か肩が凝ってしまう日が多い。
歯も浮いて、大好きなから揚げを食べるのにも一苦労である。

まぁそんな体調不良をWEB上に書き込んでも肩こりは治らないし、もうすぐに迫ったバレンタインデーにだってチョコはもらえない。実際に去年だって貰ったんだかもらってないかといえば貰っていないほうに分類されるよね。(ね。)
まぁ今年の2月14日は同様日だし仕方ないね っていうでっていう。


最近日記を書かないものだから、この辺まで一回もキーボードを止めずにここまでやってこれたわけだけれども、タイピングといえば面白いサイトがある。


宇宙打ち


名前から連想できるかもしれないが、宇宙についてのタイピングゲームである。

「ビッグ・バン」から「エッジワース・カルパーベルト天体」
なるものまで、広い宇宙についてのワードが出題されるタイピングゲームである。

このサイトのいいところはゲームが終わってからタイピングしたことのある宇宙ワードの解説が見れるというところ。

「なんだってこんなややこしい単語が出されるんだ」

とゲーム中に思っていても、終わってからその単語についての解説を読むことで知識がマタ広がるのである。多分。で、宇宙に思いを馳せることで自分の中の小宇宙(コスモって読まなきゃダメだぜ!)に気づくのだ。多分。
まぁ解説は読まなくても普段打たないような文字を打つだけでタイピング能力は上がるのではないだろうか。


節分が楽しみ

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分公「このサイトの責任者は分公です」

ああ。
せっかく動画のファイル形式についてかなり時間を割いて書き綴ったのにほんの拍子でブラウザの戻るボタンを押してしまったoT2
全部分公の責任なのだけれどね。



世界で通用する人ってすごくあこがれるのだけれど、どうだろうか?
いや、急に話題振るのには唐突過ぎで申し訳ないのだが、いま頭にふっと出てきたからしょうがない。

分公にもちゃんと親から授かった名前というものがあって、ネットで検索しても24,200件しかヒットしないような名前で、今まで生きてきた中で同じ名前の人を見たことがない。
というのも、「外国人にも一発で覚えてもらえるような・世界で通用するような」という親からの意味しんなプレッシャーが架かった名前だからである。
ここで書いてしまうのも悪くないが、本名はやっぱり伏せておく。
太朗とかならとっくに書いていてもおかしくないのだが、分公の名前の場合は別である。
(勘違いしてもらいたくないが、DQNネームではない。もし自分が羅伊斗とかいう名前だったら家出してる)

まぁなめの話は置いといて、分公の通う学校にはかなり頭のいい人たちだけが入れる上級クラスが存在するのだが、そこに通う同じサッカー部の友達Mの話。

significant

という単語があるのだけれど、読み方はカタカナで申し訳ないが「サインフィキャント」
たしか「重要な」という意味だったはず。
何故かその日そのsignficantの読み方についてちょっとしたいざこざが起きた。

M「シグニフィカント」

確かにMはそう読んだ。

よくある話であるtomorrowを「トモロゥ」と読んで覚えたり、wednesdayを「ウェドネスデイ」と読んでスペルを覚えるというのは。
でもMは完全に「シグニフィキャント」だと思っているのだ。


サッカー部員「いやいやwwシグニフィキャントなんて読まないからw」
M「え~違ったん?んじゃサイグニフィキャント?」
サッカー部員「笑うしかない」
M「シグニフィキャント?シグニフィキャント?(アクセントの位置を変えてるだけ)」

サッカー部員。爆笑。
Mが最終的に出した結論は

「シグニフィキェァーント(ちょっと発音がネイティブになりました♪)」

聞いてるこっちも恥ずかしいわ。
でもそのMのテストは驚くほど高得点なのである。英語も全国模試で、かなりの順位を取っている。
もしかしたら京大とか神大とかに進学するかもしれないほどだからバカにできない。



果たして海外でも活躍する人というのはどんな人物なのだろうかと考えると、勉強ができるのもひとつだけれど、
やはり行動力があるひとではないかと思うのだ。


最初の名前とかMとか名前のくだりは全く必要なかったのは分公が一番公開している。

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分公、実は映画を見ましてね。ヘヘッ。
明日英語のテストなのにね。ヘヘッ。うえっ。

分公家の大黒柱は火曜日がお休みなので家にいるのだが、暇なゆえ毎週ビデオを借りてくる。
今日も部活を終えて家に帰ってくると、レンタルビデオ屋からビデオを借りてきて見ていた。

ハプニング


先週に借りてきたビデオを再生していて、流れてきた面白そうな映画だったらしいのだが・・・。




あらすじを書きたいのだが、皆さんに見てもらいたいので、本当に大雑把なことしか書かない。


アメリカ、フィラデルフィアで突然大量自殺が始まった。
道を行く人々は急に自殺をする。
銃・飛び降り・リストカット・身投げ。
メディアでは新手のテロと報道され、主人公を含めフィラデルフィアに住むまともな人々は当てもなく逃げる。
段々と広がる謎のウイルス。あちこちに散らばる人。人。人。

原因は一体何なのか。
助かる手段はあるのか。
愛しあっているはずの妻と友人の娘と翻弄される主人公。
3人は無事に助かるのか・・・。

「シックスセンス」M・ナイト・シャマラン監督 プレゼンツ・・・

ハプニング



といった感じ。
かなりエキサイティングな宣伝になったと思うけれど、給料は出ないから骨折り損のくたびれもうけである。
ふぅ。


なんだか最近こんな映画が多い。
MISTもこの間見たし、地球が静止する日も正月に見た。
最近多いねこんなの。

「人類が危険にさらされるとき、何か大切なことに気づく。→今私たちが環境にできることとは一体?」
というテーマを携えている作品が多い。

やはり分公達人間は環境にもっと謙虚に向き合わなくてはならないのだろうか。
分公がここでこんないいこと書いてどうにかなるのだろうか。

果たして全く分からないが、いつかは重い腰を上げて必死こいて環境問題にも向き合うのだろう。
シャマラン監督たちは、そんな危険への「きっかけ」を作りたいのかもしれない。
ただ、流行っているからかもしれない。
分公には分からない。
どちらにしろ、どこで人類はスイッチを入れられるのか。
死ぬ前に人類全体が燃えるとき、たとえそれが「危険への対処」であったとしても、人類が結託して何かをやろうとする姿というのも、死ぬ前に見てみたいものである。

で、コーフィー飲んで死にたい。


ごめんなさい、落ちが思いつきませんでしたo...rz

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人は言う。
地に根を張れと。

職を見つけて家庭を築き、生涯を終える。
そんな人生こそが幸せの象徴だと言う。

分公もそう思う。
何事もなく病院別途で死んでいくのだ。
できるなら風呂上りにキューッとコーフィー牛乳を飲んで、
死にたい。
でも実際には会談から転げてあばら骨を骨折して死んでしまうかもしれないし、もしかしたら童貞のまま孤独死なんていうことも考えられる。ああ恐ろしい。

コーフィー牛乳死こそが分公が目指す死に方だけれども、そんな夢の様な死に方ができるなんて、相当ラッキーじゃないと死ねない。
仮に、コーフォー牛乳死できれば人生幸福で終われる気がするのである。

そう思うと、死ぬ直前まで奥さんがそばにいて、孫もいて、夢のマイホームで暮らしていても、
しがないホームレスで家族もなし・今日食べるものも無しの生活を送っていても、

関係ないと思うのだ。
最高のシチュエーションで「幸せ」を感じながら死ぬ。
そんな時人は今までの自分の人生の不幸をうらんでいるだろうか。いいやそんなことはない。
人間は単純である。目先の幸せのせいで過去のことなど「喉もと過ぎれば暑さ忘れる」なのだ。

自分の死に方なんて分からない。
幸福で人生を終えるのか、苦しみの中で死を迎えるのか。
「人生に成功した」と言われる人も、最期のときまで分からないのだ。


ある人はこう言った(誰だか思い出せないと言うのは内緒)

人生始まったときは「1」。
死ぬときはどんに裕福な人でも、貧乏な人でも「0」なんだ。

と。
分公は、どうせ「0」になるのだったら、生きているうちに好きなことを散々やってみたい。
借金まみれで、どうしようもなくて、自殺をしても「0」。
でもそれが自分のやりたいことならそれはそれでいいのではないだろうか。
世間の言う「成功者」こそがホンと運勢後者のはずがない。

自分には自分の最高があるのだ。

だから分公は、コーフィー牛乳死は半ばあきらめて、勉強から逃避してやりたいこと(日記更新)をやっているのだ。

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