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あ、猫耳とかそういうことじゃないんだけどね・・・いや違わくもないか。
久しぶりの更新である。

世の中には信じられるものと信じられないモノがあって、例えばカレーライスのおいしさについては確実に信じられる事だって分公は思っているし、信じられないと言えばこの青春時代の過ごし方とかであろうか。
今はだたハルヒの映画を見に行くって言う目先の糧に生きております^q^

それは置いておいて、分公だって学生である。
ほどほどに勉学に励んでかなりゴッコボコにされて毎日帰宅する生活なわけだが、古文の授業で光源氏がでてきたのだ。
まぁ、リア充というか生まれながらにしてイケメンなにおいが出てきていて、周りの女性はまだ赤ん坊な光源氏を見てハァハァしたんだろうなとか思うと笑えてくる。
大きくなった光源氏は女の子と恋愛しまくるわけだが、昔の美人っていうのが今を生きるセンチュリートゥウェンティーワンボーイである分公にはイマイチ理解できない。
下膨れの顔に切れ目、ちょっとおちょぼ口。

もちろん当時、モンゴロイド以外の人種を知らない人たちだから現代のような金髪幼女萌えとかが無かったわけである。
美人のとらえ方が違っていてもおかしくないかも知れない、分公は確実にブサイクに分類されるだろうが。

ということはつまり時代が違うだけで
「おおお!こりゃかわいいぜ!杏ー!俺だー!結婚してくれー!」
って思う対象は全然違ってくると言うことだ。
分公はどの時代にいきてもパッとしないのだが。

でも、犬とか猫をかわいいって思ってペットにするのは、昔から変わらないのだ。
古文に出てくる犬といえば翁麻呂とかが有名かも知れないが、昔の人も犬っころやヌコがかわいくて飼っていたのだ。
さらに時代が違うだけでなく、ヨーロッパや地球の裏側でも昔から犬はペットだったし猫は
「かわいい」
と思われていたのだ。

時代や文化の違いで人に対する
「かわええ~」
と思う気持ちは変わるが、
犬猫を
「うう~かわええ~」
と思う気持ちは変わらない。

どうしてだろう。

・・・

・・・

・・・

(猫画像フォルダを眺める)

・・・

・・・


考えても仕方なさそうである。

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