お引越し予定。
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分公、いろいろな人にお礼ができていないように思う。
「あざした」
なんていう物ではなくて、もっと大事にしたお礼。
本当にこれでもかっ!というほどしっかりお礼をして別れた人を思い出そうとしたが、いないのだ。
会わなくなってしまった友達や先生。
また会うときがくるかもしれないけれどもう会わないかも知れない。
そう思うとな~んか心にもやもやした気持ちが出てくる。
会えるようで会えなかったりするのは他人だけじゃない。
今の分公のように下らん記事を書いて風呂で温まった体を冷やしているような人間も、
明日になれば超イケメン!超ダンディ!そこにしびれるあこがれるぅ!なんていう阿部寛みなたいな男になるかもしれないのだ。
さすがに阿部寛はないだろうけど・・・
少なくとももっと誠実な生き方に目覚めたりはするかもしれない。
そう思って、今の分公は以前の分公に比べてどう変わったのだろうか。
果たして以前の分公とはもう会えなくなってしまったのだろうか。
そう思って過去ログをあさってみた。
去年の今日(日付は変わったが)の記事
分公は呆れるほど変わらずに、ここにいました。
はぁ・・・モンハン3やりてぇ・・・
「あざした」
なんていう物ではなくて、もっと大事にしたお礼。
本当にこれでもかっ!というほどしっかりお礼をして別れた人を思い出そうとしたが、いないのだ。
会わなくなってしまった友達や先生。
また会うときがくるかもしれないけれどもう会わないかも知れない。
そう思うとな~んか心にもやもやした気持ちが出てくる。
会えるようで会えなかったりするのは他人だけじゃない。
今の分公のように下らん記事を書いて風呂で温まった体を冷やしているような人間も、
明日になれば超イケメン!超ダンディ!そこにしびれるあこがれるぅ!なんていう阿部寛みなたいな男になるかもしれないのだ。
さすがに阿部寛はないだろうけど・・・
少なくとももっと誠実な生き方に目覚めたりはするかもしれない。
そう思って、今の分公は以前の分公に比べてどう変わったのだろうか。
果たして以前の分公とはもう会えなくなってしまったのだろうか。
そう思って過去ログをあさってみた。
去年の今日(日付は変わったが)の記事
分公は呆れるほど変わらずに、ここにいました。
はぁ・・・モンハン3やりてぇ・・・
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一昨日のことである。
分公と友人(以後R君)は本屋で「相対性理論」「物理慣性」なんていう超賢そうな本を探しにいくわけでもなく、ただ学校で「読め」といわれた本を探しにいくことにした。
Rは京都市には住んでおらず、学校周辺の地理に弱い。
なので分公はイケてるシティ・ボーイの気分で近場の書店に案内することに。
不本意ではあるものの、自転車の後部座席・・・と表現するのは間違っているが、とりあえず二台に乗せて出発。
書店へと。
梅雨の空模様はどんよりしていてどうも好きになれない。
ただでさえ足の先、手の先が常に湿度100%の分公でも、このジメジメは鬱陶しい。
それに重たい空の色。
これが中間テストを受けた直後の分公たちのテンションを一層引き下げてくれる。
ああまだ2日間もテストが続くのか・・・
キャピキャピとカップルもそろって下校する中、二人乗りで颯爽と書店を目指す分公達の気持ちは空と一緒の鉛色だった。
嫌なムードの中、目指す書店が近づいてきた。
京都市は狭く、分公達の学校からちょっと自転車で漕ぐだけでオフィスビルが立ち並ぶエリアまでいくことができるのだ。
その一角に今回目指す書店もあり、規模もそれなりに大きい。きっと探している本も見つけられるはずだ。
駐輪スペースは書店の前・・・と決まっているわけではないが、利用客の殆どがそこに止めている。
分公「さて、自転車を止めようかな。」
SWALLOW(分公の自転車の名前である。久しぶりに書いた気がする)の後輪には負担になりすぎる友人を降ろして、書店の入り口に面する道路に出る。
ハッ!
これはやばいッ!
分公が角を曲がった瞬間、目に飛び込んできたのは、放置自転車回収作トラックと、あたりに停めてある自転車を端から順番に一掃していく作業員たち。
分公「ちっ、まさかこんな日に限って掃除屋に出くわすとはなぁ・・・」
もうここには駐輪できない、そう感じ取った分公は仕方なくUターンして、また別の通りに駐輪スペースを求めに。
角を曲っがーれ☆
くそっ
またトラックだって!?
そう、書店一体の自転車は全て駆逐されていたのだ。
これじゃあうかつに自転車も停められない・・・。
分公たちは仕方なく更にそこから離れた書店にいくのだった。
帰宅したときも分公は今日の出来事を不思議に思っていた。
分公「広範囲の自転車駆逐があっても・・・ボリッ・・・帰りに他の掃除屋部隊を見なかったから・・・ポリッ・・・あの書店周辺だけに集中してたって事だよな・・・ポリ」
ぽたぽた焼きがうまい
分公「というこはアレか・・・ボボリ・・・分公たちの動きを完全に予知していたって事か・・・ボリ・・・しばらくは身を潜めないといけないかもな・・・やれやれだぜ・・・ズルル・・・」
お茶が合うね。
なんて下らないことを言っていると、時刻も夕方になり、テレビはバラエティニュース番組が流れてきた。
テレビ「X JAPANのYOSHIKIさんが京都に!」
ああYOSHIKIね・・・ボリ・・・YOSHIKIが書店ね・・・
X JAPANの!
YOSHIKIが!
京都の!
書店に!?
アナタのお陰か!
京都市も有名人が来るからって、急いでおめかししたのだろうなぁ・・・
分公と友人(以後R君)は本屋で「相対性理論」「物理慣性」なんていう超賢そうな本を探しにいくわけでもなく、ただ学校で「読め」といわれた本を探しにいくことにした。
Rは京都市には住んでおらず、学校周辺の地理に弱い。
なので分公はイケてるシティ・ボーイの気分で近場の書店に案内することに。
不本意ではあるものの、自転車の後部座席・・・と表現するのは間違っているが、とりあえず二台に乗せて出発。
書店へと。
梅雨の空模様はどんよりしていてどうも好きになれない。
ただでさえ足の先、手の先が常に湿度100%の分公でも、このジメジメは鬱陶しい。
それに重たい空の色。
これが中間テストを受けた直後の分公たちのテンションを一層引き下げてくれる。
ああまだ2日間もテストが続くのか・・・
キャピキャピとカップルもそろって下校する中、二人乗りで颯爽と書店を目指す分公達の気持ちは空と一緒の鉛色だった。
嫌なムードの中、目指す書店が近づいてきた。
京都市は狭く、分公達の学校からちょっと自転車で漕ぐだけでオフィスビルが立ち並ぶエリアまでいくことができるのだ。
その一角に今回目指す書店もあり、規模もそれなりに大きい。きっと探している本も見つけられるはずだ。
駐輪スペースは書店の前・・・と決まっているわけではないが、利用客の殆どがそこに止めている。
分公「さて、自転車を止めようかな。」
SWALLOW(分公の自転車の名前である。久しぶりに書いた気がする)の後輪には負担になりすぎる友人を降ろして、書店の入り口に面する道路に出る。
ハッ!
これはやばいッ!
分公が角を曲がった瞬間、目に飛び込んできたのは、放置自転車回収作トラックと、あたりに停めてある自転車を端から順番に一掃していく作業員たち。
分公「ちっ、まさかこんな日に限って掃除屋に出くわすとはなぁ・・・」
もうここには駐輪できない、そう感じ取った分公は仕方なくUターンして、また別の通りに駐輪スペースを求めに。
角を曲っがーれ☆
くそっ
またトラックだって!?
そう、書店一体の自転車は全て駆逐されていたのだ。
これじゃあうかつに自転車も停められない・・・。
分公たちは仕方なく更にそこから離れた書店にいくのだった。
帰宅したときも分公は今日の出来事を不思議に思っていた。
分公「広範囲の自転車駆逐があっても・・・ボリッ・・・帰りに他の掃除屋部隊を見なかったから・・・ポリッ・・・あの書店周辺だけに集中してたって事だよな・・・ポリ」
ぽたぽた焼きがうまい
分公「というこはアレか・・・ボボリ・・・分公たちの動きを完全に予知していたって事か・・・ボリ・・・しばらくは身を潜めないといけないかもな・・・やれやれだぜ・・・ズルル・・・」
お茶が合うね。
なんて下らないことを言っていると、時刻も夕方になり、テレビはバラエティニュース番組が流れてきた。
テレビ「X JAPANのYOSHIKIさんが京都に!」
ああYOSHIKIね・・・ボリ・・・YOSHIKIが書店ね・・・
X JAPANの!
YOSHIKIが!
京都の!
書店に!?
アナタのお陰か!
京都市も有名人が来るからって、急いでおめかししたのだろうなぁ・・・
心と心の距離について考える
というテーマで前回は少し頑張って考察したけれども、あまり成果というか結果というか。
釈然としないモシャモシャした気持ちが残ったので、
今回のも心と心の距離に似たようなテーマで、何個かの視点から考察していきたい。
1. 心の距離を取る
この記事で書いたように、人間という生き物は大きくなる(心の発達)に連れて相手と自分を区別していくらしい。
初めは相手の精神と自分の精神の違いが分からず、相手の行動や表情が自分の体に伝わったり、心理や個性に影響を与えたりするのではないかという話だった。
そこで分公は、「相手と自分の差が分からない、ある意味でのシンクロ状態が続く」という状態を、心と心の距離が意味はちょっと違うが0に近い状態だと考えた。
まぁそれは赤ん坊から見ての話で、大人から見れば「この子は私の子」という認識しかないかもしれないが。
そして、成長するごとに、教育されていく過程で心の距離の取り方というものを学んでいるのではないかと考えたのだ。
言い換えると、心と心の距離を離すように分公達は教育されてきたのではないか。
挨拶。
挨拶こそが分公たちの心と心の距離を取っているのではないか。
なんでそうなるわけ?挨拶っていいことでしょ?
そう思う皆さん、
だ か ら こ そ 心と心の距離を取るのである。
ではなぜ挨拶をするように挨拶をするように教育されてきたのだろうか。
それは大きく言うと
「いい人付き合いをするため」
朝に会うとおはようございます。
昼に会うとこんにちわ。
夜に会うとこんばんわ。
日本人は律儀にもきちっと使い分けて挨拶をする。
いいお付き合いとは、適度に心と心の距離を保った関係ではないだろうか。
ちょっとでどこは忘れたが、
「挨拶をすることは相手という人物を互いに確認するためにある」
と書かれた評論文があった。
人に挨拶をするということは、相手という人物を認識したという動作であり、
それに存在を確認するためのものである。
といった感じの展開だった気がする。模試の問題で見たんだ・・・
確かに、登校したときに目が合っても「・・・」と挨拶しないということは、相手をおろそかにしているように感じるし、自分が無視された、と思っても仕方ないね。
「おはよう」とさわやかに挨拶を交わすのが正しい人付き合いに思える。
それが 他人と自分は別のもの ということを確認する動作といわれてもうまく納得できない。
しかし挨拶を、「一日の始まりなどで相手と「声」というものでコンタクトを取りあう」という動作だと考えると、すこし納得はできないだろうか。
「おはよう」
「お!おはよう」
その一言二言できっぱりと相手と言存在と自分という存在は区別されて、距離を確認する。
赤ん坊のシンクロ状態が、心と心の距離が0の状態だとすると、
自ら声を出して相手という存在を認識しあう「挨拶」をすることによって、確実に心と心の距離は開いていくのではないか。
挨拶は人間関係を気づくための第一歩、しかしそれは同時に
相手との適度な心と心の距離を置くための一歩
とも言えるのではないだろうか。
好きな女の子がいて、特に挨拶もしていないのに朝たまたま視線が合って「ニコッ」とされたらどうだろう。
キュン!
と来ないだろうか。
声にだす、という一つのフィルターを使わないで相手とコンタクトがとれる。
つまりその時、心と心の距離というのは言葉を交わす「挨拶」をするときより狭くなっているのではないだろうか。
ちょっと自分で書いて訳が分からなくなったが、
まとめ
挨拶は相手と自分を区別化するための動作であり、心と心の距離を一定に保つ役割をしているのではないか。
その挨拶の区別の厳格さ(外国に比べると)や、挨拶は大事!という日本の教育方針こそが、現代の心と心の距離を開かせているのではないか。
でもやっぱり挨拶しないといけないよね☆
2.空気を読む
分公はよく「お前空気よめてへんよな~」「まじKYやわ」なんていわれることが多いうのだが、そこでいう「空気」とは何だろう。
空気を読むとはつまり、会話がなされている場、もしくはコミュニケーションをとっている場の人間全員が持っている共通意識のことだと思う。
誰もが「AくんとB夫は仲が悪いからな~あんまり一緒にさせたくないよな・・・」という共通意識を持っているなかで、
「カラオケ行こうぜ!Aも来いよ!B夫も来るよな!?」
という共通意識に反する発言や態度を取ると「空気」が読めていないといわれているのである。
まとめ
ということはここで発生する心と心の距離は、言われなければその場の共通意識である「空気」が理解できない分公のような人物だけ開いているのだろう。
あぁ・・・空気とは読むというのは非常に難しいものである。
識字率99.8%という日本に生まれておきながら・・・って話が別かorz
今回のまとめ
どうやら、心で思ったこと、感じたことを相手に伝える手段が少なければ少ないほど心と心の距離は狭まる、のではないだろうかというのが結論である。
分公も、頭ではいっぱい考えが浮かんでいるのにいざ書こう!となると中々表現に困ってしまうし、結局皆さんにも上手く伝わったのかあやしいのだ。
そう思えば「あうんの呼吸」という言葉は今回の結果を語る上で重要かも知れない。
できるだけ少ない手段で相手の考えることが読み取れる、ということはつまり心と心の距離が狭いのだ。
現代の科学技術によって人はより社交的になり、より多くの関係を持つようになった。
また、誰とも一定の心と心の距離を取らなければならなくなったのかもしれない。
ATフィールドの話題も出てきそうだが、書くのはやめておくことにする
というテーマで前回は少し頑張って考察したけれども、あまり成果というか結果というか。
釈然としないモシャモシャした気持ちが残ったので、
今回のも心と心の距離に似たようなテーマで、何個かの視点から考察していきたい。
1. 心の距離を取る
この記事で書いたように、人間という生き物は大きくなる(心の発達)に連れて相手と自分を区別していくらしい。
初めは相手の精神と自分の精神の違いが分からず、相手の行動や表情が自分の体に伝わったり、心理や個性に影響を与えたりするのではないかという話だった。
そこで分公は、「相手と自分の差が分からない、ある意味でのシンクロ状態が続く」という状態を、心と心の距離が意味はちょっと違うが0に近い状態だと考えた。
まぁそれは赤ん坊から見ての話で、大人から見れば「この子は私の子」という認識しかないかもしれないが。
そして、成長するごとに、教育されていく過程で心の距離の取り方というものを学んでいるのではないかと考えたのだ。
言い換えると、心と心の距離を離すように分公達は教育されてきたのではないか。
挨拶。
挨拶こそが分公たちの心と心の距離を取っているのではないか。
なんでそうなるわけ?挨拶っていいことでしょ?
そう思う皆さん、
だ か ら こ そ 心と心の距離を取るのである。
ではなぜ挨拶をするように挨拶をするように教育されてきたのだろうか。
それは大きく言うと
「いい人付き合いをするため」
朝に会うとおはようございます。
昼に会うとこんにちわ。
夜に会うとこんばんわ。
日本人は律儀にもきちっと使い分けて挨拶をする。
いいお付き合いとは、適度に心と心の距離を保った関係ではないだろうか。
ちょっとでどこは忘れたが、
「挨拶をすることは相手という人物を互いに確認するためにある」
と書かれた評論文があった。
人に挨拶をするということは、相手という人物を認識したという動作であり、
それに存在を確認するためのものである。
といった感じの展開だった気がする。模試の問題で見たんだ・・・
確かに、登校したときに目が合っても「・・・」と挨拶しないということは、相手をおろそかにしているように感じるし、自分が無視された、と思っても仕方ないね。
「おはよう」とさわやかに挨拶を交わすのが正しい人付き合いに思える。
それが 他人と自分は別のもの ということを確認する動作といわれてもうまく納得できない。
しかし挨拶を、「一日の始まりなどで相手と「声」というものでコンタクトを取りあう」という動作だと考えると、すこし納得はできないだろうか。
「おはよう」
「お!おはよう」
その一言二言できっぱりと相手と言存在と自分という存在は区別されて、距離を確認する。
赤ん坊のシンクロ状態が、心と心の距離が0の状態だとすると、
自ら声を出して相手という存在を認識しあう「挨拶」をすることによって、確実に心と心の距離は開いていくのではないか。
挨拶は人間関係を気づくための第一歩、しかしそれは同時に
相手との適度な心と心の距離を置くための一歩
とも言えるのではないだろうか。
好きな女の子がいて、特に挨拶もしていないのに朝たまたま視線が合って「ニコッ」とされたらどうだろう。
キュン!
と来ないだろうか。
声にだす、という一つのフィルターを使わないで相手とコンタクトがとれる。
つまりその時、心と心の距離というのは言葉を交わす「挨拶」をするときより狭くなっているのではないだろうか。
ちょっと自分で書いて訳が分からなくなったが、
まとめ
挨拶は相手と自分を区別化するための動作であり、心と心の距離を一定に保つ役割をしているのではないか。
その挨拶の区別の厳格さ(外国に比べると)や、挨拶は大事!という日本の教育方針こそが、現代の心と心の距離を開かせているのではないか。
でもやっぱり挨拶しないといけないよね☆
2.空気を読む
分公はよく「お前空気よめてへんよな~」「まじKYやわ」なんていわれることが多いうのだが、そこでいう「空気」とは何だろう。
空気を読むとはつまり、会話がなされている場、もしくはコミュニケーションをとっている場の人間全員が持っている共通意識のことだと思う。
誰もが「AくんとB夫は仲が悪いからな~あんまり一緒にさせたくないよな・・・」という共通意識を持っているなかで、
「カラオケ行こうぜ!Aも来いよ!B夫も来るよな!?」
という共通意識に反する発言や態度を取ると「空気」が読めていないといわれているのである。
まとめ
ということはここで発生する心と心の距離は、言われなければその場の共通意識である「空気」が理解できない分公のような人物だけ開いているのだろう。
あぁ・・・空気とは読むというのは非常に難しいものである。
識字率99.8%という日本に生まれておきながら・・・って話が別かorz
今回のまとめ
どうやら、心で思ったこと、感じたことを相手に伝える手段が少なければ少ないほど心と心の距離は狭まる、のではないだろうかというのが結論である。
分公も、頭ではいっぱい考えが浮かんでいるのにいざ書こう!となると中々表現に困ってしまうし、結局皆さんにも上手く伝わったのかあやしいのだ。
そう思えば「あうんの呼吸」という言葉は今回の結果を語る上で重要かも知れない。
できるだけ少ない手段で相手の考えることが読み取れる、ということはつまり心と心の距離が狭いのだ。
現代の科学技術によって人はより社交的になり、より多くの関係を持つようになった。
また、誰とも一定の心と心の距離を取らなければならなくなったのかもしれない。
爆弾を貰った。
これがコールオブデューティーの世界なら、手にとって相手に投げ返して一網打尽にできるかもしれないが、あいにくこの爆弾は投げ返せるような代物ではない。
ボンバーマンの世界なら。
そうだブロックに隠れよう。
ハードブロックには爆風が当たっても破壊されないし、爆発するまで後ろで待機していればいい。
それができなければちょっと高度な技に出よう。
分公の、火力が低く情けない爆弾を貰った爆弾の隣において、貰った爆弾の爆風を相殺させようか。
それともルーイにのってその場を凌ぐか・・・。
いいやこんなものではいけない。
防空壕を作ろうか。
いや、それは確実に分公に直撃するように作られている。
無駄だ。
無駄無駄無駄無駄無無駄ァ!!
貰った爆弾というのは・・・
脱兎さん「また考察書いてください。お願いします。10日までに」
ハハッ☆←ヒトデ
火曜日から中間テストです☆←ヒトデ
しかも考察っていっても、先日の記事には「心と心の距離ってどうなの?」というスバらしいお題があったからであって、それにお題についての知識がちょっと頭の片隅にあって、たまたま上手く頭が回転しただけで・・・あわわ・・・
まとめると時間と自信がナイ。
ということで今全力で、分公の興味を引くようなすばらしいお題を探している。
みなさんもなにか「実際のところどうなんだろ」と思ったことがあれば、よければどうかその疑問を分けてください。
お願いします。10日までに
これがコールオブデューティーの世界なら、手にとって相手に投げ返して一網打尽にできるかもしれないが、あいにくこの爆弾は投げ返せるような代物ではない。
ボンバーマンの世界なら。
そうだブロックに隠れよう。
ハードブロックには爆風が当たっても破壊されないし、爆発するまで後ろで待機していればいい。
それができなければちょっと高度な技に出よう。
分公の、火力が低く情けない爆弾を貰った爆弾の隣において、貰った爆弾の爆風を相殺させようか。
それともルーイにのってその場を凌ぐか・・・。
いいやこんなものではいけない。
防空壕を作ろうか。
いや、それは確実に分公に直撃するように作られている。
無駄だ。
無駄無駄無駄無駄無無駄ァ!!
貰った爆弾というのは・・・
脱兎さん「また考察書いてください。お願いします。10日までに」
ハハッ☆←ヒトデ
火曜日から中間テストです☆←ヒトデ
しかも考察っていっても、先日の記事には「心と心の距離ってどうなの?」というスバらしいお題があったからであって、それにお題についての知識がちょっと頭の片隅にあって、たまたま上手く頭が回転しただけで・・・あわわ・・・
まとめると時間と自信がナイ。
ということで今全力で、分公の興味を引くようなすばらしいお題を探している。
みなさんもなにか「実際のところどうなんだろ」と思ったことがあれば、よければどうかその疑問を分けてください。
お願いします。10日までに
近況報告
楽しい。 at 御在所岳
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プロフィール
HN:
分公
性別:
男性
職業:
大学生
趣味:
最近はもっぱら野宿
自己紹介:
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6万Hitラジオ
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